フィンランドで花見を楽しむ

From Elävän perinnön wikiluettelo
フィンランドで花見を楽しむ
Location Helsinki, Vihti, Lahti, Kerava, Porvoo, Kirkkonummi, Raasepori, Lappeenranta, Hausjärvi
Tags , , お祭り行事, 日本


Kirsikkapuisto kukassa ja ihmisiä juhlimassa Hanamia.
ロイフヴオリ公園で花見を楽しむ。ヘルシンキ、写真:オットーヴィッレ・ミッケラ 2022

伝統をよく知る人々と参加者

「花見」は日本の言葉で花を楽しむ文化的慣習を意味する。現代、花見と言えば一般的に春のサクラを楽しむことを指すが、本来は、梅の花を楽しむことから発したと言われている。 現代の日本で楽しまれているサクラの花見は、9世紀初頭に貴族たちの間ではじまったのが起源とされていて、貴族のそのような慣習は17世紀に入り、農民たちのサクラ文化と混ざり合い全国へと広がっていった。今日では、アメリカ合衆国やドイツ、スウェーデン、ベトナムなどの国々でも花見が楽しまれ、国境を越え、文化や宗教の違いを越えて誰もが楽しめる文化となっている。 ヘルシンキのロイフヴオリクラブは2008年より毎春、フィンランドで最大の花見フェステイバルを開催しており、現在、ロイフヴオリサクラ公園や日本式庭園には合計450本以上のサクラが植えられている。日本の議会や日本さくらの会とも深い友好があり、両国間の相互訪問もここ数年継続している。 ロイフヴオリ公園は、フィンランドでのサクラの開花時期や花見フェステイバル文化などの認識度を高めることに努めている。他にも、フィンランドと日本の友好や絆を深め、国民や文化の相互理解を深めることを目的とした芬日協会は1935年に創設され、今日に至るまでロイフヴオリ花見イベント開催準備の全ての会議に積極的に参加している。 日本文化友の会フィンランドやフィンランド日本人協会、そしてヘルシンキ日本語補習学校など、多くの日本関係の団体もフェステイバルの成功のため協力し合っている。

Kirsikankukkaprinsessat puvuissaan kukkievien puiden siimeksessä.
* 2023年のさくらの王女エリナ・ヴァンハペルト、さくらの女王エッラ・サーレンコと初代さくらの女王、ヴェンラ・アイラスマキ。写真:イーロ・カウキアイネン

ロイフヴオリの他にも、ラッペーンランタやビルナス製鉄所村では300本以上のサクラを楽しむことができ、トゥルクのアウラ川沿いの土手にも200本以上のサクラが植えられている。 ラハティ市では2020年の市民参加の市予算キャンペーンによってサクラ公園を設立、そこでは花見フェステイバルが2年連続で行われており、毎年の催事として計画されている。ケラバ市のサクラも一般に知られており、更にはヴィヒティやキルッコヌンミ、ハウスヤルヴィなどの街や市にもサクラ公園が整備されている。プッキラやポルヴォーでも花見が楽しまれている。 花見はサクラの本数などに関係なく、たとえ1本のサクラであっても花見を楽しむことができる。

伝統の実践

現代の日本の花見は、一般的に春先にサクラを楽しむことであり、サクラの木の下や傍で、家族や友人とともに、あるいは会社の社交的レクリエーションとしてピクニックをすることが主流である。フィンランドでも同様に家族や友人とのレクリエーションとして親しまれている。Sandra Buckley(2002)は、サクラは、「日本にとってもっとも重要な美や文化の象徴のひとつ」であり、「詩作においても春の象徴、そして常に移り変わっていく人間の生の象徴として主要なテーマ」であると述べており、加えて、サクラは海外から見て日本の国家的・文化的アイデンティティーとしての役割も果たしている。それ故に、外交関係並びに国際親善・友好の印として、サクラが各国へと贈られることも多い。 桜井満(1961)によると、日本民俗学において「サクラ」という言葉は「サ」と「クラ」に分けられる。「サ」は春になると田の神に移り変わる山の神を表し、「クラ」は神の依代を意味する。また古市真美(2010)によると、山の神は多くの場合、地域に住まう民の先祖と同様の存在として見なされており、春の「サクラ」は神や先祖の魂が住まうところとなる。 日本学研究者であるNancy G. Humeは、自身の著書『Japanese Aesthetics and Culture』において、「おそらく、さくらがもつ最大の魅力はその美しさではなく、そのはかなさにある(筆者訳)」と述べている。さくらの開花期間は短く、数日で花びらは散り始める。今日に至るまで、短歌や俳句を含む数えきれない数の詩がそのはかなさを謳っており、それは、古代から現代に続く日本の芸術に顕著である仏教の世界観、「諸行無常」にも深く繋がっている。今日のポップカルチャーにおいても、さくらは届かぬ恋や別れを惜しむ象徴、そして反対に新しい門出や希望を表すシンボルとして多くのシンガーソングライターが曲のテーマとして取り上げている。

Tanssijoita lavalla värikkäissä asuissa
2019年、日本NPO団体によるロイフヴオリ花見フェステイバルでの大田楽の上演。写真:イーロ・カウキアイネン

フィンランドでは多種のさくらを見ることができる。「ヤマザクラ・山桜、別名エゾヤマザクラ、オオヤマザクラ、ベニヤマザクラ、アイヌ語ではカリンパニ」やイギリスで交配された「アーコレード」、そして北海道産の鑑賞用「ヤマザクラ」などがラハティサクラ公園に植えられている。ロイフヴオリでは14種類のさくらを楽しむことができ、最も多いのは「ヤマザクラ」と「アーコレード」である。公園内にある「サトザクラ」の中でもっとも貴重とされるのは「天の川」、「関山」や「菊枝垂れ」であり、日本で最も親しみの深い「染井吉野」も園内で楽しむことができる。 ロイフヴオリ花見フェステイバルは日本さくらの会と共同で開催され、毎年フィンランド代表として「さくらの王女」が選ばれている。 公益法人日本さくらの会は、国会議員によって日本のサクラの「愛護、保存、育成、普及等」を目的とし、1964年に設立された。背景として、東京オリンピックを含む戦後の1950年から1970年にかけての高度経済成長期に多くの国土整備事業が行われ、それに伴う「急激な開発や公害により」さくらが全国的に衰退していったことに端を発する。サクラの復興を任務として多数の議員が集結し、日本さくらの会を設立するに至った。 日本さくらの会は、1966年を初代とし、2年に1度「日本さくらの女王」を全国から選出している。女王たちはサクラの「愛護・育成・保全推進の象徴」として国内外のさくら祭りや植樹式などへ参加し、国際親善・友好にも努めている。ヘルシンキにあるフィンランド日本大使館を通して、日本さくらの会は、フィンランドでも「さくらの女王」を選出することを促した。ロイフヴオリ協会が主催者となり、2017年から「フィンランドさくらの女王」が選ばれている。加えて、2019年からは『さくらの王女』が新しく設けられ、王女は翌年の女王となる。フィンランドさくらの女王と王女はフィンランドと日本の親善大使として務め、ラハティ花見フェステイバルに招かれるなど、様々なイベントに参加している。フィンランドと同様に、日本さくらの会と共同で開催されるアメリカ合衆国のワシントン、ドイツのハンバーグ、そしてベトナムのハノイで行われる花見フェステイバルでも「さくらロイヤルズ」が選出されている。

伝統の背景と歴史

今日、フィンランドの花見文化は、冨田憲男氏(ヘルシンキの日本雑貨スーパー「東京館」の経営者でもあり、フィンランド日本食普及の親善大使でもある)が2005年に、ヘルシンキ公共事業部にさくら公園設立を提案したことに大きく由来している。これを機に、フィンランド在住の日本人がサクラの木の寄付を始め、それがビジネス経営者の間にも広がり、さくら公園設立のプロジェクトが進行していった。ヘルシンキ市と共に、2009年の末までに合計152本のさくらがロイフヴオリ公園に植えられた。最初の花見フェスティバルは2008年の5月に開催され、この時の参加者は250人程であったが、2012年には数千人の参加者に膨れ上がった。フェスティバルの規模は毎年大きくなり、近年のイベントは3万人程の参加者で賑わい、イベント日以外のさくら開花期間の訪問者と合わせると計5万人程の人々が毎年ロイフヴオリを訪れる。ロイフヴオリの他にも、様々な市や街で花見は親しまれ楽しまれている。 日本とさくらの関係を語る歴史は、縄文・弥生時代(前1万3000年~後300年)まで遡る。この時代、さくらは山にだけ自生していたとされている。興味深いことに、さくらが育つ最も良い条件は天災の後や人の手が加わった後の太陽光がふんだんに入る二次林である。そのため、さくらは人里近くの山に多く見られ、さくらの開花は、農業(稲作)のサイクルの始まりも意味した。さくらは山の神・先祖の魂を象徴するようになり、人里に暮らす民衆の文化的慣習へと取り込まれていった。 6世紀から8世紀に渡り、大陸から漢詩の文化が伝来し、さくらが漢詩の中でも取り扱われるようになる。この時代には、さくらが貴族の庭などに植えられたという記録も残っており、花を楽しむことに加え、西や北などの方角を守護する木としての役割も果たしたとされる。さくらは、更に民衆の文化に取り入れられ、疫病や災害を防ぎ悪霊を鎮める若々しい土地の神の象徴ともなった。 さくらが、地球上のどの場所で発祥したかという問いは長年の間議論されてきた。森林学研究者である勝木俊雄氏によると、日本で自生しているさくらは10種類程であり、地球の北半球には、約100種類の野生種が生息していると述べている。南京林業大学の王賢栄氏は、さくらは「単一の品種」ではなく「植物学的に言えば観賞価値のあるバラ科サクラ属の植物の総称である」とし、「世界には150余りのサクラ属の野生種が存在しており、固有の原産地というものはない」と述べている。また、「ヒマラヤ地域に発生した品種がサクラ属の植物として最古」だという認識があるが、長い地球の歴史においての地質変動や気候変動を踏まえると、世界各地で「異なる時期に異なる空間で拡散」していったため、「異なる地域のサクラ属植物の原産地はそれぞれ異なる」としている。長い年月の間、多くのサクラ品種が自然に、そして人工的に交配された。日本で最もなじみのある「染井吉野」は、江戸時代に2種類のサクラを交配させた栽培品種として産み出された。

Puistonäkymä Roihuvuoresta: narsisseja, lampi ja vesitorni.
2023年、ロイフヴオリでの花見。 写真:オットーヴィッレ・ミッケラ

現在のところ、サクラを楽しむ花見は、平安時代(812年)に嵯峨天皇が催したのが始まりと考えられており、それが恒例の行事となった。皇居や貴族邸だけではなく大寺院などでも花見行事が行われたとされている。花見は、和歌を詠むという政治的な場ともなり、貴族の間では、優れた和歌を詠めることが重要なステータスのひとつであった。この頃から、サクラは恋やはかなさの象徴とも考えられるようになっていった。 鎌倉、室町、そして安土桃山の戦国時代を通してサクラは市の外側にも浸透し、侍階級の人々にも親しまれた。花見の大衆化が起こったのは江戸時代であり、その主たる要因は民衆の力が強まったことにある。この時代にサクラを使った農業的祭事と貴族の花見文化が融合し、現代の花見文化に至る契機となった。この頃には、ガーデニングも盛んに行われ、染井吉野を含む様々なサクラの栽培品種が産出された。サクラ文化のさらなる浸透と計画的植樹により、各地でサクラの名所が生まれたのもこの時代であり、開花時期になると花見客で賑わった。

伝統を伝え行く

今日の日本において花見は春の娯楽の定番でもあり、いつサクラが開花し満開を迎えるかという情報は、春が近づくたびにニュースで放送される。開花したサクラの下で、人々は家族や友人、そして会社の同僚たちと花見を楽しむ。 サクラの植樹、育成、管理自体も文化遺産と考えることができ、人間の社会的空間と自然環境との共存の歴史でもある。例を挙げると、サクラはよく川辺や川の土手に植えられていることが多い。これは、特に江戸時代の公共事業として計画された洪水を防ぐためのひとつの手段でもあった。同時代に、サクラは田舎にも計画的に植えられ、市民が旅行することで地方にも経済的な利益をもたらした。よって、計画的な植樹は人間が住む空間と自然環境との融合に止まらず、市と地方文化の融合をも促進した。 2011年に起こった東日本大震災で被害を受けた地方に、何千本ものサクラが、教訓、屈しない精神、生存者への希望、そして命を落とした人たちへの追悼として植えられた。

フィンランドではロイフヴオリ花見フェステイバルでも見られるように、花見行事はサクラを楽しむだけではなく、日本文化全般を楽しむためのイベントとなっている。フェステイバルでは昔から現代までの日本文化を見ることができる。着物や浴衣、コスプレ、食べもので言えば大判焼き・今川焼も楽しまれ、ブースの前には長い行列ができる。ステージで行われるパフォーマンスでもパラパラが紹介されたり、近年では公園にたくさんの鯉のぼりが掲げられ春の風に泳いでいる。満開のサクラを背景に日本の固有種である秋田犬や柴犬の写真を撮る人たちも見られた。 日本さくらの会と共同で、ロイフヴオリ花見フェステイバルでは『さくらの女王』と『さくらの王女』の選出が続けられ、他の市や公園、団体もそれぞれサクラや花見の宣伝を続けている。よって、フィンランドの花見文化は更に広がることが予測され、文化や宗教、その他の社会的背景に関係なく誰でも楽しめる花見は、フィンランドで息づいている文化的遺産のひとつとなっている。

伝統の未来

今日、花見は日本に限った文化ではない。先にも挙げたフィンランドの例を含め、他の国々の花見イベントでは、日本のアニメや食文化なども組み込まれている。大抵の場合、サクラの開花は人々の目に留まりやすく、花見は毎年の行事として定着しやすい。よって、花見はそれぞれのコミュニティーや国で新たに始まる慣習や継続される文化になりやすいのではないだろうか。 加えて、サクラや花見フェステイバルは大々的に宣伝され商品化されている。日本では、3月から4月(フィンランドでは5月)にかけてサクラの開花や満開時期の予想が日々のニュースでレポートされている。コカ・コーラやスターバックス、アサヒなどの大企業も毎年のようにサクラをテーマにした季節限定商品を出している。 上記のように、ロイフヴオリの花見フェスティバルは、多々の有形・無形文化財を取り込んだ日本文化全般を楽しむイベントとなり、フェステイバル自体がフィンランドの多様性を物語る文化的遺産となっている。同時に、花見や花見フェステイバルは日本からの移住者にとって馴染みのある年間行事であって、異国の地においても母国の日本と同じように春の花見を楽しむことができる。 フィンランド国内の多くの場所でサクラは楽しまれており、ラハティ市に新しく設立されたさくら公園でも花見フェステイバルが開催されているように、フィンランドでの花見文化は更なる広がりを見せながら、各々の楽しみ方で親しまれている。 開花から1週間もせずに散っていくサクラのもの悲しさと美しさを体験する花見には特に決まったルールはない。花見はフィンランドと日本が共有する自然への敬愛と尊敬を表す文化であり、この習慣はフィンランドにおいても容易に取り入れられたと推測することができる。国境を越え異なる文化を繋ぐ花見、そしてその文化を楽しむ人たちはフィンランド内だけではなく世界中にいるのである。

この提出の背後にあるコミュニティ/コミュニティ

ロイフヴオリクラブ: https://kaupunginosat.fi/roihuvuori/roihuvuori-seura/

芬日協会: https://suomi-japani.net/

日本文化友の会フィンランド: http://japaninkulttuuri.net/

日本語訳の追加引用

有岡利幸. 2007. 桜1:ものと人間の文レイ化史、 東京: 法政大学出版局. 熊華磊. 2015. 博士論文:地域社会の視点から見た花見のリアリティー鹿児島県伊佐氏大口の事例よりー 鹿児島大学大学院 人文社会科学研究科 桜井満、枕詞と呪農―「花散らふ」と「み雪ふる」の発想―万葉40、1961 古市真美、桜・梅の社会文化史ー近世江戸の華の名所に着目してー、修士論文、東京大学院新領域創成科学研究科、2010

三河の植物観察 『サトザクラ』https://mikawanoyasou.org/data/satozakura.htm#:~:text=%E3%82%B5%E3%83%88%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%83%A9%20%E9%87%8C%E6%A1%9C&text=synonym%20Prunus%20serrulata%20Lindl.&text=%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%B7%E3%83%9E%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%92%E4%B8%AD%E5%BF%83%E3%81%AB%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%83%A9,%E3%82%92%E3%82%B5%E3%83%88%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%83%A9%E7%BE%A4%E3%81%A8%E5%91%BC%E3%81%B6%E3%80%82

Mustila Arboretum. “Prunus sargentii-Sargent’s cehrry”. http://www.mustila.fi/en/plants/prunus_sargentii_sargents_cherry

地方独立行政法人北海道立総合研究機構 『サクラ類(バラ科)』 https://www.hro.or.jp/forest/research/fpri/koho/default/doumoku-index/sakura.html

Public Relations Office, Government of Japan. 『桜への愛を分かち合う』https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202104/202104_01_jp.html